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悪女の仮面に隠された野望。古代エジプト最後のファラオ「クレオパトラ」

「世界三大美女」の1人、クレオパトラ。世間のイメージでは「絶世の美女」「恋多き女」というイメージですが、本当のクレオパトラはいったいどんな人物だったのでしょうか。

「クレオパトラ」という名前

世間一般にに知られているクレオパトラは正式には「クレオパトラ7世」という名前です。名前の意味は「父親の栄光」

しかし、クレオパトラの父、プレトマイオス12世はかなりの遊び好きでした。その為、クレオパトラの実の姉によってローマに追放されました。

クレオパトラ14歳の時、戻ってきた父は姉と骨肉の争いを繰り広げた末、姉を処刑してしまいました。14歳という若さで家族の権力争いを見てきたクレオパトラはいかなる心境だったのでしょうか。

18歳でファラオになる

紀元前51年、父が亡くなった為ファラオとなったクレオパトラ。父の遺言と古代エジプトの慣例により、弟であるプレトマイオス13世と結婚、共同統治をすることになりました。

古代エジプトでは近親婚は珍しくありません。何故なら王位継承権はファラオの長女の夫に行くようになっており、王の息子に王位を継がせたいため、近親婚をするのです。

夫との考え方の違い、そして決裂へ

姉弟といってもやはり考え方は違います。クレオパトラは親ローマ派でしたが、夫のプレトマイオス13世は反ローマ派でした。しかも弟はまだ若く、側近の介入によって徐々に2人の間に亀裂が入ります。

紀元前49年、ローマではカエサルポンペイウスが内乱を繰り広げていました。親ローマ派であったクレオパトラはポンペイウスに兵と食料を援助。

これが決定的となり、プレトマイオス13世はクーデターを起こし、クレオパトラを追放してしまいました。

クレオパトラの賭け

カエサルとポンペイウスの戦いはカエサルの勝利に終わり、ポンペイウスはエジプトへ逃亡。それを追ったカエサルは、エジプトではクレオパトラ姉弟が内戦中でした。

カエサルはエジプトに貸しを作ろうと和解を提案。それをチャンスと思ったクレオパトラは単身カエサルの元へ行きました。

しかもその方法が自らを絨毯にくるませ、贈り物だと言って届けさせるという、なんとも驚くべきものでした。

古代エジプトでは絨毯に賄賂をくるんで贈るという習慣があるのですが、まさか女王が贈られてくるとはカエサルも夢にも思わなかったでしょう。

その豪胆さが気に入ったのか、カエサルとクレオパトラは愛人関係になりました。ちなみにこの時クレオパトラ21歳、カエサル52歳でした。親子ほどの年の差です。

ナイル川の戦い、再びファラオへ

カエサルの提案により、和解を果たしたクレオパトラとプレトマイオス13世。しかしこの和解はたったの15日で破綻。 プレトマイオス13世はカエサル軍を攻撃します。

カエサル軍もこれに応戦し、紀元前47年「ナイル川の戦い」が勃発。プレトマイオス13世はナイル川で溺死し、また彼と結託していた姉アルシノ4世はカエサルの凱旋式の際、引き回しにされました。

その後、クレオパトラはプレトマイオス14世と結婚、再びファラオに返り咲きました。しかし、この統治は実質カエサルの傀儡政権でした。

そして「ナイル川の戦い」があった年、クレオパトラはカエサルの子供を産みました。名は「カエサリオン」と言います。

カエサルの死亡

紀元前46年、クレオパトラはカエサルと共にローマへ行き、そして滞在しました。

しかし権力を持ちすぎたカエサルは紀元前44年、会議中に暗殺されてしまいます。

強力な後ろ盾をなくしたクレオパトラ。自身も刺客に襲われるかもしれないと、エジプトに帰国しました。

その後、プレトマイオス14世が亡くなると、カエサリオンを同統治者に据えることにしました。しかし、カエサルを失いエジプトの庇護者はいなくなってしまいました。

クレオパトラとアントニウス

クレオパトラが次に目を付けたのがカエサルの部下であったアントニウスという男。彼はカエサルの死後、カエサルの養子オクタウィアヌスと激しい権力争いをしていました。

そして自身の名声を高めるべく、パルティア遠征へ。それがクレオパトラとの出会いでした。

パルティアとの戦いを有利に進めたいアントニウスと新たな庇護者が欲しかったクレオパトラ。両者の利害は一致し、2人は結婚したのでした。

またもや後ろ盾を得たクレオパトラ。しかし、アントニウスはクレオパトラとの結婚生活に夢中でした。

その頃ローマではオクタウィアヌスが次第に力をつけてきていました。カエサルの養子が権力を握ればカエサリウスの立場が危うい。そう考えたクレオパトラはアントニウスに迫り、妻(オクタウィアヌスの姉)と離婚させます。

これだけではありません。クレオパトラはアントニウスにオクタウィアヌスと決戦するようにけしかけました。この決戦こそが「アクティウムの海戦」で、クレオパトラの運命を決定づけてしまう出来事になってしまうのです。

アクティウムの海戦

決戦をけしかけたクレオパトラでしたが、両者はなかなか動きませんでした。

そんな中、紀元前34年アントニウスが東方の属州の統治権をクレオパトラに与えたという知らせがローマに入りました。

オクタウィアヌスはこれをアントニウスとクレオパトラを討伐する口実が得られたとし、海軍の派遣を決定。

アントニウス・クレオパトラ連合軍はローマ軍を迎え撃つため本営を小アジアのエフェソスからギリシャのアテネ、さらにアドリア海に面したアクティウム近くに移しました。

こうして紀元前31年「アクティウムの海戦」が始まりましたが、機動力に勝るローマ海軍にエジプト海軍は大敗。敗れたアントニウス、クレオパトラは別れ別れになってしまいました。

クレオパトラの最期

アントニウスは戦いの後、クレオパトラの裏切りを疑い自決。クレオパトラは捕らえられ助命を願うも、オクタウィアヌスはこれを拒否。クレオパトラは監禁されてしまいます。

この時クレオパトラは41歳。オクタウィアヌスを篭絡することは無理だと悟った彼女は、ローマで見せしめの引き回しに合う事を恐れ、用意していた毒蛇で自殺しました。その遺体はアントニウスと共に埋葬されたといいます。

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