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権威や常識を嫌い、自由奔放に生きた「一休宗純」

「一休さん」といえばだれもが知っている国民的人気アニメ。

そのモデルとなった「一休宗純」はアニメの一休さんのような利発で品行方正ではなく、かなりの自由人でした。

禁じられている行為はことごとく破る

一休は僧侶でしたが、戒律は一切守りませんでした。

肉は食べるし、酒は飲む。男色や女犯も当たり前。

したい事をして生きているという感じですね。

なぜ僧侶になったのか疑問に感じます。

師匠の印可を拒否

1420年(応永27年)、座禅をしていた一休はカラスの鳴き声を聞いて悟りを開きました。

これを知った師匠は一休を後継者と認めて印可を授けることにしました。

しかし、一休はこれを拒否。「馬を繋ぐ棒杭と同じで邪魔にしかならない」と言いました。

師匠からの申し出を断るというとんでもない行動に出た一休ですが、破門されることはありませんでした。

そしてこの時から自らを「狂雲子」と名乗る事にしました。

一休と門番

ある日京都の富豪から法要の依頼を受けた一休。

前日にその家に立ち寄ってみると門番に追い払われてしましました。

一休は普段からボロをまとっていたので、乞食坊主と思われたのです。

そして翌日。立派な紫の法衣に身を包み、弟子と共に現れた一休。

前日と打って変わり、門番は頭を下げて大歓迎。

一休は奥に通されると主人に昨日の事を話しました。

それを聞いた主人は「それは失礼しました。しかし、何故名前をおっしゃらなかったのですか?」と聞き返しました。

これを聞いた一休は紫の法衣を脱ぎ捨て、「価値があるのはこの法衣なんだから、法衣にお経を読んでもらいなさい」と言い、帰ってしまいました。

権威を嫌う一休らしい逸話ですね。

朱鞘の大太刀

いつも立派な朱鞘の大太刀を差していた一休。

しかしこの刀、木刀でした。これは当時外面を着飾ることしか興味のない世間への風刺だったそうです。

阿弥陀如来像を枕に昼寝

親交のあった本願寺蓮如の留守中に居室にあがりこんだ一休。

なんと阿弥陀如来像を枕に昼寝をしてしまいました。

帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って2人で大笑いしたといいます。

正月にがいこつを持って京都を練り歩く

ある年の正月、一休はしゃれこうべを付けた杖で

「ご用心、ご用心」と京都の町を歩きました。

不思議がった町人に「何をしているんですか」と聞かれると

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 」と歌を詠みました。

お正月には皆めでたいめでたいと言うが、一年経ったという事は、それだけ冥途に近づいているということだ

という一休なりの皮肉が込められた歌でした。

庶民に愛された一休

一休は師匠が亡くなった事をきっかけに近畿一円を転々と説法行脚しています。

仏教の真理を庶民にわかりやすく説いて回った一休は、次第に庶民の人気者になりました。

晩年の一休

63歳の時、薪村の妙勝寺を再建し、近くに「酬恩庵」を建てました。

ここは一休の終の棲家で、今では「一休寺」と呼ばれています。

そして81歳の時、応仁の乱によって荒廃した大徳寺の復興の為、第47代住職に任命されました。

権力嫌いの一休もさすがに天皇の勅命には逆らえなかったようです。

ちなみに一休が任命されたのは民衆に絶大な人気のあった一休の名を利用して、大徳寺の再建費用を集める目的があったようです。

この考えは見事に的中し、わずか5年で再建費用が集まりました。

そして1481年(文明13年)、マラリアに罹ってこの世を去りました。

「一休の禅は、一休にしか分からない。朦々淡々(もうもうたんたん)として60年、末期の糞を晒して梵天に捧ぐ」という辞世の句を残しました。

肉を食らい、酒を飲み、女も男も愛すというおよそ僧侶らしくない生活をしていた一休。

しかしそんな人間臭さが民衆に愛された理由かもしれません。

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