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第二世界次大戦を剣と弓で無双した男、ジャック・チャーチル

皆さんはジャック・チャーチルをご存知でしょうか?第二次世界大戦で活躍した軍人で愛称は「マッドジャック」。 座右の銘は「士官たるもの剣を持たずして戦場に赴くべきではない」。 自動火器が主流となっていた当時において、剣と弓で戦ったというすごい人物なのです。

ジャック・チャーチル生誕

1906年イギリス領香港で、イングランド系両親の元に生まれたチャーチル。20歳の時にサンドハースト王立陸軍学校に入学。卒業後はマンチェスター連隊に配属され、ビルマで軍務につきました。

ビルマ滞在時、何を思ったのか無線を習いに自転車で2,000km先のカルカッタに行って帰ってきたりしました。しかし、あまり楽しくなかったらしく除隊。第二次世界大戦が始まるまで、バグパイプと弓の練習に打ち込みます。

ジャック復帰、そして戦場へ

第二次大戦が始まると再志願し軍務に復帰。ちなみに理由は「戦争ができるから」だそう。しかしチャーチルが配属されたのは「名目だけの戦争」状態のフランス国境。フィンランド義勇軍に志願するも中止になってしまい暇を持て余してしまいます。

しかし1940年ドイツがベルギーに侵攻。遂に彼は活躍の場を得ます。ここからがチャーチル伝説の幕開けでした。

ジャック伝説その1「弓矢で敵兵射殺」

当時自動小銃が主流だった戦争に何故かロングボウで参加したジャック。ドイツとの戦闘でこっそり近づき敵兵士を射殺。第二次大戦唯一の「弓矢による」殺害スコアを記録しました。

しかしジャックがいくら奮戦しようがドイツの勢いには勝てず、イングランドに撤退。その後ドイツに対抗するため新設されたコマンドー部隊に志願。しかしなにをするのか分かっておらず「単純に危険で面白そうだから」という理由で参加します。

ジャック伝説その2「バグパイプを鳴らしながら奇襲」

画面右端がジャック

1941年7月27日、ノルウェーに展開するドイツ軍に対する奇襲攻撃に参加。なんとバグパイプを高らかに奏でながらクレイモア(剣の方)で突撃。しかもこの突撃は大成功。最小限の犠牲で島一つを占拠するという大戦果。これによりジャックは叙勲され、隊長に昇進します。

ジャック伝説その3「100名以上の捕虜を取る大戦果」

1943年7月、指揮官としてイタリアのカターニアに侵攻。もはや代名詞であるクレイモア、ロングボウ、バグパイプで参加。数的不利を覆すため総勢65名のコマンド部隊を6つの負う横戦列に分散し、深夜を待ちました。

そして6方向から「コマンドー!」と鬨の声を挙げながらドイツの陣地に襲い掛かりました。これにドイツ軍は大混乱。100名以上の捕虜を取る大戦果を挙げました。

なお本人は当然先頭で突撃。戦闘中にクレイモアを紛失し、徒手空拳でドイツ兵と戦ったそうな。

ジャック伝説その4「40名の部隊で突撃」

1944年5月、対独パルチザン(1500名)とコマンドー部隊(40名)を率いてユーゴスラビアに上陸。ドイツ軍の激しい砲撃にパルチザンが脱落するも、ジャックはバグパイプを吹き鳴らし攻撃続行を指示。僅か40名のコマンドー部隊で突撃します。しかしさすがのジャックも無理があったようで、手榴弾で吹き飛ばされ、意識を失い捕虜となります。

ジャック伝説その5「脱獄、そして終戦」

捕虜として収容所へ送られたジャック。しかしバグパイプを吹いてはドイツ兵に感想を求めるというフリーダムっぷり。

当然収容所で大人しくしているはずもなく、脱獄を敢行。1回目は失敗するものの、2回目は無事成功。1週間かけて200kmを踏破し米軍と合流します。その頃には西部戦線はほぼ終わっており、太平洋方面への配属を志願。しかし太平洋戦線もジャックが参加する前に終了。

このことに対し「ヤンキーが仕事さえしなければ後10年は戦えた」と苦言を残しました。

ジャックのその後

戦後は教官職についたジャック。後外洋でサーフィンがむずかしいイギリスで「河川逆流を利用し河出サーフィンする」という画期的な方法を最初に実行した人になりました。

1959年に退役、1996年にサリーでその生涯に幕を下ろしました。享年89歳でした。

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wikipediaより
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