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「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」出撃回数2000回越えのスーパー軍人

第二次世界大戦の最中、「ソ連人民最大の敵」と呼ばれたすごい軍人がいました。その名はルーデル。

朝起きて牛乳飲んで朝飯食って牛乳飲んで体操して出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して晩飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送っていたら、 世界最強の戦車撃墜王になっていたという彼の逸話を紹介します。

スツーカとの出会い

20歳の頃、飛行機学校を志したルーデル。しかし、経済的事情から通えませんでした。

そんな時、ドイツ軍が空軍を設立。ルーデルは一発で合格し、パイロットへの道を歩み始めたのでした。

花形である戦闘機乗りを目指したルーデルでしたが、ある演説を聞きスツーカ(急降下爆撃機)隊を志願。

ルーデル曰く「最初は嫌々だったが実際に操縦してみた途端、スツーカ隊にいることが至上の幸福に感じられるようになった」んだそうです。

よほどスツーカとの相性が良かったんでしょうね。

新人時代の戦果

ある日出撃したルーデルはソ連の戦艦マラートと遭遇。急降下爆撃を敢行し、見事命中させるも、被害は軽微。逃げられてしまいます。

その5日後対戦艦用の1t爆弾を備え再度戦艦マラートに爆撃し、沈めます。

ちなみに1t爆弾の効力半径は3000フィートで、これ以上の高さから投下しないといけないのですが、こなんとルーデルはわずか900フィートの高さから爆撃しました。

しかもダイブブレーキなしで直角で急降下したそうな。

その後戦艦ガングートを攻撃するも撃沈に失敗。新人3カ月での戦果は戦艦1隻大破着底、駆逐艦1機撃沈、戦艦1隻中破撃退でした。

部下救助の時の逸話

部下の乗ったスツーカが不時着したため救助に向かったルーデル。

無事合流するものの、スツーカは横転。4人は敵地に取り残される羽目に。

この時相棒のヘンシェルが「ソ連に捕まるくらいなら川に飛び込もう」と提案。幅600ヤード、水温3~4℃の川を泳ぎます。

しかしいいだしっぺのヘンシェルが溺れてしまい、ルーデルが救助にいくものの助けることはできませんでした。

味方のルーマニア兵だと勘違いしてロシア兵に話しかけてしまった際には、銃撃を肩に食らうも無事逃走。

軍用犬まで使った数百人体制に及ぶ捜索の網を回避。

その後約40kmを踏破し味方陣営に到着。全身ボロボロで本部から帰還命令を下されますが、無視。

ロシア側が「ルーデルを捕らえた」と宣伝していたのが気に入らなかったそうです。

この件で本部から「味方飛行場以外での着陸を禁ずる」という命令を下されました。

ルーデルは命令を律義に守り、1944年ヘルムート・フィッケル少尉とその相棒を救出した時には降下→地表を滑走→救助→再離陸という離れ業を披露しました。

怪我しようが片足失おうが出撃

ルーデルは撃墜数もさることながら被撃墜数も多い人物でした。

ある時高射砲に撃墜されたルーデル。後席に座っていたガーデルマンと共に重傷を負うも歩いて陣地に帰還。

治療を受けていたガーデルマンを見つけると「休養など取っていられない!さあ出撃だ!」とガーデルマンを引っ張って戦場に出撃。

撃墜されてから数時間後には高射砲を破壊しに行きました。

1945年2月8日、飛行中に対空砲に打たれた際右足を失くしました。

この時ガーデルマンに「足が無くなってしまった」と言ったところ、ガーデルマンは「足が吹っ飛んだら話なんかしていられませんよ。そんな事より左翼が燃えています、不時着しましょう」と返されました。

基地に帰って初めて足が無い事に気づいたそうです。

当然入院したルーデル。病室で涙する彼を見た同僚が「片足がなくても戦闘機には乗れるさ」と慰めたところ、「違う、足はまだ1本ある。ソ連の戦車を『しばらく』ぶっ潰せないのが悔しいんだ」と返しました。

『しばらく』の言葉通り、ルーデルは1月半(本来なら半年)もすると医師の制止を振り切り無理やり退院、出撃していきました。

ヒトラーとルーデル

積み重ねた戦功から数々の勲章を授与されていたルーデル。

しかしあまりにも戦果を挙げすぎたため、ついにはあげる勲章が無くなるという事態に。

そこでルーデルの為だけに宝剣付黄金柏葉騎士鉄十字勲章が作られ、ルーデルに贈られました。

ヒトラーはルーデルが戦死することを恐れ、「君を目の前にして面と向かって言いにくいが、これ以上は飛ぶな」と言いました。

当然ルーデルは拒否。総統を前にしても一切ブレません。それどころか先述の勲章を授与された際に「もう2度と私に地上勤務をしろと言わないのならば、その勲章を受け取りましょう」と言い放ちました。

その後もヒトラーの禁止命令に対してルーデルはこっそり出撃を繰り返すといういたちごっこが続きました。

ソ連人民最大の敵

対ソ連との戦争で多大な戦果を挙げたルーデル。ソ連からは恐れられ、かのスターリンから「ソ連人民最大の敵」と呼ばれました。

そのためソ連はルーデルに対し10万ルーブル(約1億円)の賞金をかけられました。

ルーデルの戦績

出撃回数2530回、被出撃回数は30回、戦闘による負傷は5回でした。

戦果は戦車519輌(一個軍団相当)、装甲車・トラックは800台以上、火砲(100mm口径以上)150門以上、装甲列車4両、戦艦マラート1隻、駆逐艦1隻、上陸用舟艇70隻以上、航空機9機(戦闘機2、爆撃機5、その他2)。

しかし戦友らの証言によると、ルーデルは仲間の評価を上げる為に戦果を譲っていたそうです。

本当ならば、これよりもっと多くの戦果を挙げていたことになりますね。

終戦、そして死去

終戦後は南米へ。そこで実業家となり28歳年下(結婚当時21歳)の女性と結婚。

また義足でありながらテニスや登山に精を出していました。アンデス山脈の最高峰の1つ、ユヤイヤコに挑むも、友人が滑落死。

ルーデルは一旦下山してから友人を捜索し、死体を発見した後、その亡骸を担いで登山しました。

そして友人を山で手厚く葬ったそうです。

1982年死去。彼の葬儀の際、西ドイツの空軍機2機が追悼飛行を行ったり、ナチス式の敬礼をする元軍人、元ナチス党員、ネオナチが参列。

戦時中の国歌や軍歌が盛大に流され、ちょっとした騒ぎになったそうです。

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