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三国時代の立役者、曹操の逸話

曹操の生涯

後漢の末期に生まれ、官僚として仕えていた曹操。

群雄割拠の時代にのし上がり、「官渡の戦い」で袁紹を撃破。

覇道を歩んでいた曹操でしたが、孫権との「赤壁の戦い」で、大敗を喫してしまいます。

その後「魏王」となり三国志でおなじみの「魏」を建国。

三国を統一するため活動しますが、220年に病死しました。

政治家としての曹操

曹操の行った政治として代表的なものが「屯田制」でしょう。

今までの屯田制は辺境の守備隊に農業をさせる「軍屯」というものでした。

しかし曹操は持ち主のいなくなった土地を農民に与えました。 そして集団で農業に従事させ、 税金を収めさせるという新しい制度「民屯」を実施しました。

詩人として

曹操は多くの文人を配下にし、自らも優れた詩人でした。

曹操の詩は「楽府(がふ)」といわれ、当時の民謡を取り入れた新しい詩の形式でした。

そのDNAは2人の息子、曹丕と曹植にも受け継がれており、「三曹」と称されました。

曹操は人材マニア?

優れた人材の獲得に熱心だった曹操。

彼の採用基準はいたってシンプルで、「ただ才のみこれを挙げよ」というものでした。

これは「才能さえあれば、人格や素行を問わない」というもので

この方針によって様々な才能たちが曹操の元に集いました。

また才能の無い者にも冷たくあしらうという事はせず、ちゃんと平等に遇していました。

曹操は有能な人間しか愛せないわけではなく

人の使い道を見つける事に長けていた懐の広いリーダーでもありました。

英雄、色を好む

大の女好きで、生涯に13人もの女性を妻にした曹操。

しかし今とは違い、昔はそう珍しいものではありません。

曹操の場合、女性絡みで色々とやらかしエピソードが多いのです。

例えば関羽に呂布を破った暁には、杜夫人を妻に迎え入れる事を認めておきながら

約束を破り自分の側室にしてしまいます。理由は「杜夫人があまりに美しかったから」

また息子の曹丕 と同じ女性を愛した際、息子に先んじられた事に腹を立て、憎まれ口を叩いています。

いくら同じ女性を愛したとはいえ、息子相手に少し大人げないですね。

孫子の兵法を編纂

孫氏の兵法に注釈を入れて「孫子魏武注 」として1つの文献にまとめあげたのも曹操でした。

実はユーモラスだった曹操

プライベートではかなりユーモアのある人物だった曹操。

彼が残した詩集「短歌行」には「酒に対してはまさに歌うべし。人生などどれほどのものだろうか。ただ、その楽しみは酒だけだ」

と歌っており、かなりのお酒好きだったようです。

酒宴が開かれるといつもニコニコで、皆で即興で詩を披露しあったりしていたようです。

またあまりに飲みすぎてフラフラになった挙句、食器に顔面から突っ込み

顔中ベタベタにしながら大笑いしたそうです。

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