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「人類史上最高の天才」ジョン・フォン・ノイマン

人類の長い歴史の中で生まれた数々の天才達。そのなかでも飛びぬけた頭脳を持ったのがジョン・フォン・ノイマンです。

アインシュタインに「天才」と認められた彼の人生はどんなものだったのでしょうか。

「神童」と呼ばれた幼少期

1903年にハンガリーはブタペストで三兄弟の長男として生まれたジョン・フォイ・ノイマン。(ハンガリー名はナイマン・ヤーノシュ)。

人類史上最高の天才は子供の頃から優れた頭脳の持ち主でした。特に計算能力と暗記力はすさまじく、6歳の時には電話帳を完全に暗記8桁の割り算を暗記で計算8歳の時には微分積分を完全にマスターする12歳で「関数論」を読破するなど、この頃から天才ぶりを発揮していました。

高校~大学時代

1914年プダベストにあるルーテル・ギムナジウムに入学。後のノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーとは級友でした。

17歳の時、数学者フェケテと共同で数学論文 「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」 を書きました。その論文は1922年ドイツの数学雑誌に掲載されます。

この時ノイマンの才能を見抜いた教授が「ご子息に普通の数学を教えるのはもったいないし、罪悪と言えるでしょう」とノイマンの父親に主張したという逸話があります。

その後ノイマンは大学へ。しかも、プダベスト大学、スイス工科大学、ベルイン大学の3校に同時に在学。全てにおいて優秀な成績を収め、数学以外の学位も習得していきました。

アメリカへ旅立つ

1933年、プリンストン高等研究所へ旅立ったノイマン。そこにはアインシュタインも在籍していました。

アメリカへ旅立ったのは彼がユダヤ人であったこと、ヨーロッパの体制ではノイマンは評価されなかったことが原因と言われています。

研究所での仕事

彼が最初に関わった仕事は弾道計算を正確に行えるコンピュータの開発でした。そしてドイツ軍の「エニグマ」(暗号作成機)の解析、さらには原子爆弾開発プロジェクト「マンハッタン計画」への参加。

軍事目的の研究に携わる事の多かったノイマンですが、彼自身は戦争は嫌いで、穏やかで人に好かれていたといいます。

ノイマン型コンピュータ

世界最初のコンピュータENIAC(エニアック)は1946年に開発されました。

これはプラグ方式で動いていて、配線、プラグの差し替えという物理的なプログラムの与え方をしていました。

これに対してノイマンはプログラムからハードウェアを独立させて実行させる方式を発表。これが現在でも採用されている「ノイマン型コンピュータ」の基礎となりました。

数学の分野での功績

数学的な能力に優れていたノイマンはゲーデル、チューリングと共に数学の3代天才と呼ばれていました。

主な功績はモンテカルロ法の考案セルオートマトンの創出量子力学の解釈への貢献ゲーデルの第二不完全性定理の独立の発見などです。

ゲーム理論の基礎を確立

1944年経済学者オスカー・モルゲンシュテルンとの共著 『ゲームの理論と経済行動』 を発表。

ゲーム理論とはざっくり言うと「お互いに利害関係の相手がいるとき、お互いの理解を考えて最適な戦略を取る」という考え方です。

本当は主流経済学(新古典経済学)への批判として生まれた理論でしたが、現代では経済学の中心となっています。

気象学において

ノイマンは気象学でもその天才ぶりを発揮。「気象学」「気象予報」「数理モデル」とコンピュータを使うという斬新な方法を持ち込みました。

核開発

ノイマンは1937年に応用学を研究し始めました。そしてドイツとの戦争に数値解析が必要と考え、アメリカ陸軍に志願。しかし、不採用になりました。

その後爆発物の第一人者となったノイマンは開けアメリカ海軍のコンサルティングの仕事に就きました。この分野でのノイマンの業績は 「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」 で、この理論は広島と長崎の原子爆弾にも利用されました。

また「マンハッタン計画」参加時にファットマンの爆縮レンズを開発、1940年代にはZND理論を確立し、原子爆弾が実現できることを示しました。

晩年

太平洋での核爆弾の実験やロスアラモス国立研究所での核実験により放射線を浴びた事が原因で1955年にすい臓がんと診断されました。

そして1957年2月に53歳で死去。遺体はニュージャージー州のプリンストン墓地に埋葬されました。

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